2022年2月28日15 分

償いの丘 <カタルーニャ特集:ペネデス編>

何度も、何度も、フラッシュバックする光景がある。あの瞬間、不意に気付かされた過ちに、あらゆる言い訳は意味消失した。私にとってペネデスの丘は、終わりのない贖の日々と、生涯守り続けることになる約束の、始まりの地である。

ペネデス

カタルーニャ州のペネデスは、プリオラートと並ぶ最重要産地として、名を馳せてきた。しかし、この2産地は両極端の性質をもつに至ったことでも知られている。プリオラートが4人組による復興後、スペイン最上のクオリティ産地へと進化した一方で、ペネデスは超大量生産型産地の典型例として猛進を続けた

言うまでもないかも知れないが、ペネデスで超大量生産されてきたワインとは、スパークリングワインのカバである。

コストパフォーマンスという一点において、カバは世界各国のトラディショナル製法(シャンパーニュ製法)で造られるスパークリングワインに対して、圧倒的な優位を維持し続けてきた。

また、カベルネ・ソーヴィニヨンなどで造られるインターナショナルスタイルのワインも、カバに比べればマイナーだが、強い勢力を維持してきた。こういったワインも、コスト面ではチリなどと比べても遜色ないレベルのパフォーマンスで知られてきた。

まさに総体としてのペネデスは、人々の「渇き」を安価に癒すための産地として発展してきたのだ。

そして、若かりし頃の筆者は、このようなワインを大量に販売していた。

文字通り、大量に、だ。

安くて美味しい、それだけをクリアしていれば、当時の私にとっては正義だった。

誤った選択

筆者のワイン産業との関わり方を根本的に変えた出来事は、ペネデスにおけるナチュラルなワイン造りのパイオニアの一人である、アルス・ヘリピンス(Els Jelipins)グロリア・ガッリガを訪問した時に起こった。

グロリアが株仕立てで植樹した小さな畑には、背が低く、幹の細いスモイ(ペネデスの土着品種)が、懸命に生き残ろうとしていた。樹齢はまだ3年だが、畑は丘の上のなだらかな斜面にあり、見るからに痩せた土壌だったが、土は歩く度に靴が沈み込むほど、ふかふかだった。畑には様々な草花が共生し、鳥のハイトーンなさえずりは心地よく、虫の羽音が鳴り止むことがなかった。深呼吸すると、澄んだ空気が体の隅々にまで染み渡った。

腰をグッとかがめて、生まれたばかりの子供と接するように葡萄樹をケアするグロリアの姿には、どこか神聖なものすら感じた。

丘の下はカバ用の畑

グロリアの自然と一体化したような畑から丘の下を眺めると、別の葡萄畑が見えた。良く見かける、整然とした垣根仕立ての畑だった。

ワイナリーへの帰り道にその畑の横を通り過ぎると、グロリアがおもむろに話し始めた。

「この葡萄畑のオーナーは、すごく大きなカバのメーカーと契約しているの。葡萄樹は私の畑と同じ3年前に植えられた。でも、こんなに大きく育っちゃって。」

穏やかな性格のグロリアは、それ以上何も語らなかったが、私はその畑へと足を踏み入れた。

そして、体が固まった。

樹齢3年というチャレッロは、すでに私よりも背丈が高く、青々とした大量の葉に覆われていた。足元を見ると、異常に固くなった土が、灌漑用のホースから流れ出る水を拒絶するかのように、表面張力で歪な形に広がった水たまりがあちらこちらにできていた。グロリアの畑にあったような草花は一つもなく、鳥の声も、虫の羽音もピタリと止んでいた。吸い込んだ空気には、不自然に甘い香りが混じっていた。

なぜ葡萄畑がこんな状態になるのか。答えは明白だ。過剰な窒素化学肥料の施肥、除草剤、殺虫剤、防カビ剤の大量散布が行われたということだ。

葡萄樹以外のありとあらゆる生命を拒絶するかのような畑の中にいた私は、自分がそれまでに数多く販売してきたワインが、どれだけ地球を破壊しながら造られていたのかを、初めて完全に理解した。

そう、知らず知らずのうちに、私は環境破壊に積極的に加担してきたのだ。

それだけではない。ペネデスのもう一つの主力であるインターナショナルスタイルのワインも問題だ。

ペネデスの畑から土着品種を引き抜いて、伝統や文化とは一切の関連性がないフランス系品種を植えて造られたようなワインを販売するということは、その販売者は、伝統の破壊、そして文化の破壊という悪行に、意気揚々と加担するということでもある。

この訪問によって、ペネデスは、筆者のワイン人生において、極めて重要な意味をもつ産地になった。ペネデスを知ったことによって、私のワイン観が完全に変わったからだ。

もう、環境破壊にも、伝統破壊にも、文化破壊にも、私は加担したくない

だから、厳格なサスティナビリティこそワイン産業の中心にあるべきだと頑なに信じるようになったし、土着品種を引き抜いて造られた国際品種ワインに対する興味を、完全に失ったのだ。

絶滅寸前まで追いやられたスモイ

塗り替えられた産地

ペネデスは、西ヨーロッパでも最も古いワイン産地の一つであり、東方からやってきたフェニキア人によって、少なくとも紀元前6世紀にはワイン造りがすでに行われていたとされている。以降、ペネデスは常に葡萄畑と共に栄えてきたが、18世紀に入り、スペインが南米へと大きく進出していった際には、ペネデス産ワインの需要もピークに達した。しかし、19世紀後半のフィロキセラ禍によってペネデスのワイン産業は一変した。それまでは黒葡萄が主体であった葡萄畑は、白葡萄に全面的に植え替えられ1870年のカバ誕生へと繋がった。チャレッロ、マカベオ、パレリャーダといった白葡萄の土着品種はカバ生産によって生き残り続けたが、スモイのような土着黒葡萄は絶滅へと向かい、テンプラニーリョ(現地ではウイ・デ・リャブラと呼ばれる)、ガルナッチャ、モナストレル(ムールヴェドル)、サムソ(カリニャン)といった地中海沿岸西側に古くから分布してきた品種に加え、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ピノ・ノワールといった品種が続々と導入された。現在ペネデスDOには、これらの品種が全て認可されているが、スモイをはじめとしたフィロキセラ禍以前の土着品種の多くが、DOから除外されたままだ。この大きな変化は、危機に瀕した際のカタルーニャ人らしい反骨精神から生まれたとも捉えることができるし、カバやカベルネ・ソーヴィニヨンによって、ペネデスが急速に復興したことも確かな事実だが、古い土着品種の復活が極小規模とはいえ着実に進む中、いつまでもその流れを無視し続ける旧態依然とした原産地呼称制度のあり方には、強い疑問を覚える

抑圧からの解放と内部分裂

ペネデスにも、小規模生産の高品質ワインは昔から少なからずあった。それは間違いないことなのだが、フレシネ、コドルニゥ、ガルシア・カリオンという、たった三社のメガクラスワイナリーが、全カバ生産量の90%近くを優に占めてきたのもまた、確かな事実だ。このような産業構造では当然、強者による弱者への抑圧が起こる。数世代に渡って、メガワイナリーの下請け農家として、物言わぬ機械のような畑仕事をさせられてきたファミリーは数知れないだろう。そしてそのような歴史を経て、ようやく多様性と個性が尊重される時代になった今、隷属からの脱却を図る小さきものたちが続々と現れたことは、全く不思議なことではない。

また、カバというDOは非常に特殊な規定になっており、95%がペネデス周辺で生産されているにも関わらず、原産地ではなく、製法に対して定められたものとなっている。つまり、少ない割合とは言え、ペネデスから遠く離れた場所でも、カバDOの名の元に、ワインが生産されてきたのだ。特に2010年代以降、この問題に対しては、環境問題に強い懸念をもち、サスティナブルかつ高品質なカバ造りを目指してきた小規模ワイナリーが、DOからの脱退という形で次々と異論を表明してきた。2012年にはビオディナミワイナリーのラベントス・イ・ブランがDOから脱退し、Conca del Riu Anoiaという独自の呼称を掲げた。また、レカレドグラモナといった有力な小規模生産者が、オーガニックで育てたペネデス産の葡萄のみを使用した高品質カバ造りを目指したCorpinnatという生産者グループ(後に、スパークリング・ワインの名称としても使用)を結成し、DOカバと新たなガイドライン制定に向けて協議を重ねていたが、結局決裂し、2019年には、9社のカバメーカーがDOを離脱した。

叛逆のパイオニアたち

抑圧的かつ環境負荷の高い産業構造への反発が生まれた時には、一度極端に真逆の方向へと振り切った動きになることが常だ。つまり、大量の化学肥料と農薬によって安定的に高収量を確保し、圧倒的な生産量でもって利益を積み重ねるというモデルからの脱却は、オーガニックやビオディナミの導入、不要な添加物の完全な拒絶、収量を落とし、ワインの価格を上げるといった方向へと向かっていくことを意味する。

フランスでは1980年代初頭から生じ始めたこの流れだが、カタルーニャで起こったのは2000年前後。約20年遅れのスタートだった。

まずは、先陣を切って改革へと走ったパイオニアたちの中から、日本国内でもワインが入手可能な造り手に限定しつつ、ペネデスの周辺産地の造り手も含めて紹介していこう。

エスコーダ・サナフヤ(Escoda Sanahuja)

ホアン・ラモン・エスコーダカルメン・サナフヤは、1997年にペネデスから少し北西に位置するコンカ・デ・バルベラ(Conca de Barberàの地にワイナリーを設立し、2003年にはビオディナミへと転換した。2005年からは亜硫酸無添加への挑戦を始め、よりプリミティヴなワイン造りへと舵を切った。フランス系品種も多用するエスコーダ・サナフヤだが、コンカ・デ・バルベラには、フランス・ロワール地方からやってきた修道士たちが、カベルネ・フラン、シュナン・ブラン、ピノ・ノワールを持ち込んでいた歴史があり、この地に長く根付いてきた品種となっている。無添加故の危うさは時折見え隠れするものの、巨大なエネルギーを内包した、見事なナチュラル・ワインを手がけている、カタルーニャにおける偉大なパイオニアだ。

メンダール(Mendall)

ラウレアノ・セレスは、1999年にワイナリーを設立。拠点を置くテッラ・アルタ(Terra Alta) はカタルーニャ州の南西端に位置している。かつてカバの協同組合で代表を勤めていたラウレアノだったが、大量生産型の無個性なワインに疑問をもち、自らのワイナリーでは、亜硫酸無添加とプリミティヴな醸造へと振り切った。2011年にはカタルーニャのナチュラル生産者たちと共に試飲会も開き始め、ムーヴメントのリーダーとしてその手腕を遺憾無く発揮している。エスコーダ・サナフヤと同様に、無添加による危うさはあるものの、強烈なエネルギーの躍動には、心が激しく揺さぶられる。

アルス・ヘリピンス(Els Jelipins)

ペネデスにおけるナチュラル・ムーヴメントのパイオニアは、間違いなくグロリア・ガッリガだ。2001年、ペネデスの奥地、アルト・ペネデスの山中に自宅と地下室のワイナリーを構え、最小限の原始的な醸造設備から、驚異的なワインを生み出してきた。特に、絶滅に瀕していたスモイの復活において、グロリアが果たした貢献は計り知れないものがある。初期は赤ワインのみの生産だったが、近年はロゼとオレンジワインも手がけるようになり、圧倒的な個性を発揮し続けている。亜硫酸添加に関してはより柔軟な考え方で、必要な時にのみ、必要最低限(本当に、文字通りの最低限)を添加する。少し揮発酸のたった妖艶なスタイルは、南仏の銘醸シャトー・ラヤスすら想起させるほど。

Els Jelipinsのグロリア

パルティーダ・クレウス(Partida Creus)

イタリア・ピエモンテ州のワイナリー一家に生まれたマッシモ・マルキオリは、自給自足の生活に憧れて訪れたカタルーニャの地で、森に囲まれた小さな畑の中に、忘れ去られたように佇んでいたスモイの古樹と出会ったことにより、カタルーニャでのワイン造りの道へと進むことを決意した。マッシモにとって運命の地となったボナストレ村は、バルセロナとプリオートのちょうど中間に位置する小村で、ワイン産地としては無名に等しい存在だったが、2000年に葡萄畑を購入して以降、スモイ、カルトゥシャ・ベルメル、ヴィニャテール、ガルーといった土着品種の復活に心血を注ぎ、後に続く世代の礎となった。畑でもセラーでも一切の添加物を拒絶する究極的なナチュラリストであるマッシモのワインには、当然のように亜硫酸が添加されていない。故に不安定さは時折垣間見えるが、一瞬で爆発的に広がる香味は、凄まじい。

クロス・レンティスクス(Clos Lentiscus)

2001年に設立されたクロス・レンティスクスは、ニコラ・ジョリーが率いるルネッサンス・デ・ザペラシオンの一員でもある。当主であるマネル・アヴィニョは、葡萄畑をビオディナミへ転換し、多種多様な土着品種によるスパークリング・ワインとスティル・ワインを生産していくためにDOには目もくれず、己の信じる道を突き進んできた。添加物への拒絶は頑なで、亜硫酸は一切添加しない上に、スパークリング・ワインの瓶内二次発酵すらも野生酵母で行う。現在は娘のヌリアも参加し、父娘二世代で、ダウン・トゥ・アースなワイン造りを続けている。無添加故の問題は時折生じるが、ビオディナミの力故か、時間を経て沈静化するケースも多い。筆者が過去に飲んだ数多いペネデス産スパークリング・ワインの中でも、最上のものはクロス・レンティスクスの作だった。

次世代の躍動

ペネデスを中心としたカタルーニャにおけるナチュラル・ムーヴメントは、フランスで40年かけてきた変化と進化が、わずか20年の間に凝縮されている、という点も非常に興味深い。パイオニア達とはあまり歳が離れていない世代がすでに活躍しており、ナチュラルな哲学と、土着品種の復活というテーマは受け継ぎつつも、今の時代にあった、よりクリーンな方向へと既に進化し始めている

今から紹介していく次世代の(年齢層はバラバラだが)造り手達の多くは、まだ発展途上ではあるものの、進化のスピードが非常に速い。極稀に、不安定なワインに出くわすこともあると思うが、ヴィンテージを追うごとに改善されているため、継続的に追うことを強く推奨する。

コズミック・ビニャテーズ(Cosmic Vinyaters)サルヴァドール・バットヤ・バラベッチュは、パイオニア達のスタイルを、よりクリーンで安定したワインへと洗練させた造り手の筆頭格、つまりカタルーニャにおけるクリーン・ナチュラルの象徴と言える。特に絶滅寸前だったカリニャン・ブランコ、カリニャン・グリを用いた一連のワインは、そのメッセージ性も含め、特筆に値する。その酒質は、カタルーニャのラングロール、とでも言えばわかりやすいだろうか。

エンリック・ソレール(Enric Soler)は1997年にスペイン最優秀ソムリエの座を勝ち取った程の、極めて優れたソムリエだったが、2004年に祖父の畑を引き継ぎ、ワインメーカーへと転身した。祖父が守り通した株仕立ての古樹は、ビオディナミ農法で栽培され、大切に保存されている。エンリックはチャレッロに完全に特化した造り手でもあり、散在する畑の、異なるテロワールを宿したチャレッロから、驚異的な透明感に溢れるワインを造っている。

セイエル・ノウ・メス (Celler Nou Mes)を率いるモイセス・ビルジリもまた、大きな期待をせずにいられない造り手だ。2010年に、ラ・ノウ・デ・ガイアという小村にある畑を父から引き継いで以降、葡萄畑を有機転換し、添加物を排したナチュラル路線へと進んだ。スパークリングワインの二次発酵はジュースで行い、リキュールも添加しない。端正で透き通るような見事なワインだ。また、土着の白葡萄を使用したオレンジワインも大変素晴らしく、亜硫酸無添加ということが信じられないほど、安定している。

アモス・バニェレス(Amós Bañeres)は、ペネデスの土着品種から古典美に溢れるワインを生み出す造り手だ。亜硫酸は完全無添加なのだが、アモスのワインは抜群に安定している。特に白ワインの完成度が凄まじく、若干のスキンコンタクトを経ているため、オレンジワインとの境界線がやや曖昧ではあるものの、分厚い旨味と、どこまで奥深く滋味深い味わいには感動を禁じ得ない。

ビニェス・シングラス (Vinyes Singulars)イグナシ・セグイは、土着品種復興とオーガニック回帰を掲げる若手が次々に登場しているペネデスにおいても、微発泡性ワインであるペティヤン・ナチュレルの生産に重きを置いた、ユニークな造り手だ。また、スモイをアンフォラで醸したロゼや、栗樽を用いたオレンジワインなど、スティルワインの品質も際立って高い上に、全体的に非常にクリーンに仕上がっている。

ラ・サラーダ (La Salada)トニ・カルボは、4世代に渡って、カバのメガワイナリーの契約農家として生計を立ててきた一家に生まれた。しかし、常態化した搾取的構造に嫌気がさし、自らワインを造ることを決意。極端なナチュラル思考に陥らないトニのワインは、ナチュラルというよりは、美しいテロワールを讃える、オーガニックなクラシックワインだ。素晴らしく口当たりの良いスパークリングワインや、たっぷりと旨味の乗ったオレンジワインは圧巻。

ビニャス・デンプレンタ (Vinyas Dempremta)は、イシドラとジェラールの親子によって2011年に立ち上げられたワイナリー。カタルーニャ中央部のバジェス地方は、ワイン産地としては無名だった分、長年の間、耕作放棄地と化していた古い葡萄畑が今もなお現存しており、注目が集まりつつある。これらの葡萄畑の多くが混植となっており、特にマカベオ、マルバシア、ピカポイ、パンセラという土着白葡萄が混植された畑から生まれるRabassaは、筆者が経験したスペイン産オレンジワインの中でも、1、2を争う程の極上ワイン。

カタルーニャの特異性

ペネデスを中心としたカタルーニャのナチュラル回帰は、他の産地や国々とはその性質を大きく異にする部分がある。それは、一度失われたかけた土着品種の復興というテーマが、環境保全や健康志向と同じレベル感で中核を担っているという性質だ。つまり、カタルーニャのナチュラル・ワインには、伝統や文化の保全という意味合いが非常に強く込められている。その土地で昔も今も変わらず栽培されてきた品種をナチュラルに造ったり、そもそもワイン文化が無かった地で新しく葡萄を植えてナチュラルに造るようなケースとは、根本的に異なっているのだ。だからこそ、カタルーニャは面白いし、カタルーニャのナチュラル・ワインには、途轍もない価値が宿っている。この先も、ものすごいスピードで、この地からは新たな造り手が誕生し続けるだろう。そして、カタルーニャが、世界のナチュラル・ワイン・ムーヴメントにおいて、ボジョレーやロワール、ジュラと肩を並べるような「聖地」となる日は、すぐそこまできている。