2022年3月12日14 分

混迷の銘醸地 <シャブリ特集:前編>

今日よりも、より良い明日がきっと来る。

エントロピーの増大に抗うことが、生きるということそのものである人類にとって、少なくとも今はまだ、時間とは不可逆的なものなのだろう。そう、過去に向かって生きることが、精神世界の中だけの話なのであれば、我々にはそもそも選択肢が無いのだ。

それでも、人は過去を振り返る。

私がいま、世界中のワイン産地の中で、最も危惧しているのが、シャブリだ。

シャブリは今、美しい過去の記憶、より良い未来に期待する思い、そして人々がシャブリに求める理想像が、複雑に入り組んだ迷路と化し、そもそもゴールが存在するのかも、分からない状態にある。

混迷の根源的原因はただ一つ、気候変動だ。

思い起こせば10数年前、シャブリの造り手たちとこの問題に関して議論すると、決まって同じ答えが返ってきた。

地球温暖化は、シャブリにとっては恩恵となる。

それが、過去のシャブリにとって、誰もが予想し、期待していた「より良い明日」だった。

そもそもシャブリは、冷涼という括りには到底収まりきらないほどの、限界的産地だった。冬と春の寒さから葡萄樹を守るために、明け方前の深夜3時ごろに葡萄畑に出て灯油に火をつけ、巨額を投じてスプリンクラーを設置し、時には葡萄畑に電線すら張り巡らしてきたのがシャブリという産地だ。

そのような地域にとって、温暖化が恵みに思えたのも、不思議ではない。厳しい環境の中で、日々自然と向き合ってきたシャブリの人々は、温暖化によって、楽にワインを造れる年が増えると、期待せずにはいられなかったはずだ。

しかし、現実は、彼らが願った通りにはなっていない。

葡萄を温める火

幻想的な光景だが、環境負荷が高いことは言わずもがな

襲い掛かる二つの変動

過去20年間を振り返ってみると、真に偉大なヴィンテージと呼べるのは、2002年2010年しかない。20年間で、たったの二度だけだ。2005年、2009年、2015年の一般的な評価は高いが、それは「シャブリがコート・ド・ボーヌ的に味わいになっても良い」とした場合の話だ。

2011年以降に限定しても、難しいヴィンテージが続いている。

どうしようもなくダメだった2011年と2013年。

不安定な気候で収量が激減した2012年。

に苦しんだ2014年。

暑苦しいワインの多い2015年。

霜害に苦しんだ2016年と2017年。

酷暑でバランスを見失った2018年と2019年。

品質だけを見れば、2012年、2014年、2016年、2017年は良好と言えるヴィンテージだったが、収量が低過ぎたため、生産者にとっては厳しい年だった。

2018年ヴィンテージでは、ついにアルコール濃度15%と表記されたシャブリをそれなりに見かけるようになり、筆者は絶望感にも似た感情に苛まれた。ヨーロッパでは±0.5%の誤差がアルコール濃度表記に認められている。つまり、シャブリのように、どちらかというとアルコール濃度を低く見せたいタイプのワインが、14.5% ではなく、15%と表記するしかなかったということは、実際のアルコール濃度は15%を上回っていたのだろう。これはもはや、教科書を修正しないとならないレベルの変化だ。

そもそもシャブリとは、世界でも最も有名な白ワインの一つであると共に、酸とミネラルを体現したワインの象徴でもある。

そんなシャブリが、丸々と太ったトロピカルな果実味と、柔らかい酸に包まれたワインへと変貌しようとしている。

かつての研ぎ澄まされたナイフのような姿は、みる影もない。

ただただ温かくなるだけと思っていた気候変動が、蓋を開けてみれば、温暖化を含む気候の激的な不安定化であったという結果に、今もまだ多くの造り手が確実な対応策を見出せずるにいる。

2020年ヴィンテージの収穫は8月24日に始まった。例年に比べると、2~3週間以上早いタイミングだ。

過去10年の反省を活かしながら、葡萄の成熟の早さを鑑みて決められた収穫開始日だが、

10月に収穫することも珍しいことではなかったシャブリで、8月に収穫が始まることが、どれだけ異常な事態か。

そして、そのタイミングで収穫することが、シャブリらしさを維持する最善策なのかは、正直まだ分からない。

少なくとも筆者はここ数年、シャブリを「酸とミネラルの強い白ワイン」として紹介することを、かなり控えるようになった。

最早、カリフォルニアのシャルドネを「コッテリと新樽の効いた、バターのような味わいのパワフルなワイン」と紹介するのと同じくらい、間違った表現だと感じるからだ。

スプリンクラーで水を撒き、葡萄の表面に氷の層を作ると、氷点下より大きく下がらなくなる。

また、シャブリを襲っているもう一つの変動も危険だ。

近年、コート・ドールのワイン価格が急激に高騰したことに引きつられるように、シャブリの価格も上がっている。一級畑クラスで一本一万円を超えるシャブリが、珍しくなくなってきたのだ。

シャブリにとってこの価格は、5年前までなら秀逸な造り手の特級畑ワインを購入しても、お釣りがくる水準だ。

市場原理に価格が大きく左右されるのがワインというものではあるが、コート・ド・ボーヌのワインと違い、長年の間、カジュアルでリーズナブルな白ワインの代表格であり続けてきたシャブリにとって、価格の大幅な上昇は諸刃の剣となり得る。

もちろん、この価格上昇には、より深刻な規模で頻発するようになったや雹による大幅な収量減も関係しているが、一度上がった価格はそう簡単には下がらないものだ。

日本は、シャブリの輸出先として、世界第3位の国である。そして、シャブリにとって日本が重要なマーケットであること以上に、日本のワイン文化において、シャブリの存在は大きかった。最初に覚えた白ワインはシャブリ。覚えやすい名前も相まって、そのようなワインファンは、数えきれないほどいるだろう。

だが果たして、広域シャブリに4,000円以上支払い続ける人がどれだけ日本にいるのだろうか。

正直に書こう。優れたシャルドネは世界中にある。そして、クラシックな魅力がなくなりつつあるシャブリは、私にその高価格の正当性をアピールしきれていない。ごく一部の造り手を除いて、テロワール表現が大きく揺らぐシャブリは、もはや私にとって、その価格を支払ってまで買う意義が無いワインと化しつつある。

筆者にはかつて、気候変動によって明らかにスタイルを見失ったアルザスのワインを、見限っていた時期がある。アルザスのワインが好きだった私にとって、それは辛く悲しい期間だったが、幸いなことに、アルザスは「らしさ」を少しアレンジしつつも、取り戻したと思えるようになった。

シャブリはどうなるのだろうか。このままなら、完全に見放す日がいつか来てしまうだろう。だが、筆者は信じていたい。シャブリの聡明で献身的な造り手たちが、必ず打開策を見つけ出すことを。

12世紀に建造された、聖マルタン教会

歴史

少しだけ、シャブリにまつわる歴史の話もしよう。

9世紀中頃には小規模のワイン造りが始まっていたとされているシャブリだが、ワイン産地として確かな産声を上げたのは1,114年のこと。セラン河の周辺に葡萄畑を切り拓いたのは、シトー派の修道会だった。順調に評価を高めていったシャブリ産のワインは、ヨンヌ河を通じて、パリに住む王族たちに届けられるようになっていた。17世紀に入るとイギリスへの輸出も始まり、19世紀中頃の最盛期には、シャブリ(正確にはヨンヌ県とすべきだが)の葡萄畑は、約40,000haにまで拡大していた。

だが、19世紀後半になると、シャブリは一気に傾き始める。

パリを中心にフランス全土に広がった鉄道網は、パリから遠く離れた地方からも「格安」でワインを入手することを可能にしたため、ヨンヌ河の輸送インフラというシャブリのアドヴァンテージが消失した。さらに、1886年にはウドン粉病が、1887年にはフィロキセラがシャブリを蹂躙し、18世紀後半のフランス革命によって土地を得ていた葡萄農家の多くが、その甚大な経済的損失に耐えることができなかった。

やがて、第一次世界大戦や世界恐慌にもみまわれ、1938年にINAOがChablis AOCを制定した時には、その栽培面積はわずか400haにまで落ち込んでいた。

第二次世界大戦はシャブリの過疎化を深刻なものにし、歴史ある産地の復活は、1960年代に葡萄畑における霜害対策が確立するまで、進まなかった。

1950年代までは、冬に雪が積もると、シャブリの丘が天然のスキー場になることもあったそうだ。当時、スキーに丁度良い傾斜がある、開けた丘として人気だったのは、なんと現在のシャブリ・グラン・クリュが集まっている丘だった。そう、シャブリ人は、今となっては高名な特級畑のレ・クロで、スキーをしていたのだ。ほんの70年前まで。

1970年代以降は、世界的なシャルドネ・ブームに乗じて、順調に栽培面積を増やし、2020年には約5,700haにまで広がっている。

シャブリにおける栽培面積の変遷(最盛時の40,000ha、AOC制定時の400ha、現在の5,700ha)は、シャブリをどういう産地と見るかにおいて、非常に重要な意味をもつため、知っておいて損はない。

キンメリッジ論争

シャブリという産地を語る上で、欠かせないと長年されてきたのが、キンメリジャン土壌だ。基本的には粘土石灰質の土壌だが、太古の海洋生物(牡蠣)の化石が多く含まれているという特徴がある。この土壌と関連付けて、シャブリに生牡蠣というロマンスが生まれたのは、ご存じの通りだろう。また、現在シャブリの特級畑と一級畑を構成しているエリアは、ほぼ例外なくキンメリジャン土壌である。だが、範囲をプティ・シャブリAOCにまで広げると、別の土壌が顔を出してくる。かつてはポートランディアンと呼ばれていた、チトニアン土壌だ。チトニアンは砂と粘土の割合がキンメリジャンよりも多い粘土石灰質土壌であり、基本的には海洋生物の化石を含まない。1960年代以降のシャブリ復権から一貫して、キンメリジャンはチトニアンに勝るとされてきたが、その優劣の真実は、土壌そのものではなく、畑の位置にあると言える。限界栽培地である(あった)シャブリにとって、日照量に直結する斜面の角度と向きは、他産地に比べて、遥かにウェートの大きい要素となる。つまり、シャブリにおける葡萄畑の優劣は、土壌タイプではなく、本質的には日当たりに依存するという理解の方が正しいと思えるということだ。

1970年代には、シャブリAOCをキンメリジャン土壌の丘に限定したい派閥と、チトニアン土壌を容認して、AOCの拡大を目指す派閥が法廷で争ったが、結果は後者の勝利となり、シャブリは急速に拡大していった。

さて、ここでもう一度、歴史を振り返ってみよう。

シャブリの栽培面積は、最盛期には約40,000ha。

フィロキセラ禍を中心とした被害によって劇的に縮小し、1938年には約400ha。

そして、2020年には約5,700ha。

最盛期を基準にすれば、チトニアン土壌を含めた現代の5,700haという数値は、約1/7の規模でしかないが、1938年のAOC制定時を基準にすれば、16倍に拡大したことになる。

実は筆者自身は、最盛期の1/7という見方をしている。日当たりが重要なシャブリにおいて、その条件を完璧に満たす特級畑の地位は揺るがないと思うが、広域シャブリAOCや、プティ・シャブリAOCの畑でも、南側に開けた畑からは、一級畑に肉薄するようなワインが生まれることもある。かつてはもっと広い範囲に畑が広がっていたことを考えれば、現在認定されていないエリアに、優れたテロワールが眠っている可能性は十分にあるのでは無いだろうか。

歴史的事実である40,000haという広がりを無視して、狭い範囲にしかないキンメリジャンを至高とする論争を続けるのは、流石に無理があるのでは無いだろうか。

余談だが、キンメリッジは特に珍しい土壌というわけではない。なんなら、世界中の色々な場所にキンメリッジ土壌と、それに極めて近い土壌がある。フランス国内だけでも、サンセールやジュラ、シャンパーニュにもキンメリジャン土壌がある。

様々な方角に傾斜する、シャブリの斜面

格付けの再編成

限界栽培地である(あった)シャブリにとって、日当たりが極めて重要な意味をもつという事実は、シャブリにおける葡萄畑の格付けと深く関係している。分かりやすくいうと、ほんの僅かな日照の差が、大きな違いとして現れるということになる。興味深いことに、シャブリの格付けは、同格付け内でもかなりはっきりとした優劣が見られるのだ。

激化する気候変動の中、このような議論が意味をなさなくなる可能性は重々承知しているが、過去の記録を残す、という意味も込めて、本稿ではあえて、シャブリの主要な葡萄畑を、ボルドー左岸とサン=テミリオンを混合したような方式で、ある程度主観も織り交ぜながら、第一級から第六級まで格付けしてみようと思う。

第一級クリュ・クラスA

特級畑レ・クロ(Grand Cru Les Clos)

27.61haは、シャブリ特級畑の中でも最大の面積。畑は真南を向いており、岩の多いキンメリジャン土壌は排水性が高い。常に、あらゆるシャブリの中で最も力強く、雄大なワインとなり、強烈なミネラルが特徴となる。また、特級畑の中でも最も長熟のワインとなり、若い間は固く閉じていることも多い。正真正銘、シャブリの頂点にして、唯一の第一級Aに相応しいクリュだ。

第一級クリュ・クラスB

特級畑ヴァルミュール(Grand Cru Valmur)

面積は11.04ha。レ・クロの北西に位置し、斜面は南西を向いている。基本的な性質はレ・クロに似ているが、比べると僅かにふくよかで、ミネラルがより穏やかになる傾向がある。長熟タイプでもあり、若いうちは非常に固いという性質も、レ・クロに類似している。造り手次第では、第一級A相当とも言える実力を発揮するが、全体としては第一級Bに相応しいだろう。

特級畑ヴォーデシール(Grand Cru Vaudésir)

面積は16.38ha。ヴァルミュールの西側、グルヌイユとプリューズに挟まれるように位置し、南向きに開けたヴォーデシールもまた、特別な特級畑の一つだ。特徴的な白い花のアロマ、ハイピッチな果実味と煌びやかな酸は、ヴォーデシールの確かな個性だ。シャブリの全ての特級畑の中でも、最もエレガントと言っても過言ではなく、筆者の完全に個人的な価値判断では、レ・クロと並ぶ第一級Aに推したいほど。ドメーヌ・ロン・デパキが所有するモノポールである「ラ・ムートンヌ La Moutonne」はヴォーデシールの中にある。

第二級クリュ

特級畑レ・プリューズ(Grand Cru Les Preuses)

面積は10.7ha。ヴォーデシールの西に位置するレ・プリューズは、主に南側に向いた斜面となる。シャブリのあらゆるエッセンスをバランス良く配置したような特徴をもつレ・プリューズは、シャブリの優等生的存在だ。ヴォーデシールほど柔らかくもなく、レ・クロやヴァルミュールほど力強くもないその性質は、没個性とは決してならずに、高い次元で調和に至っている。

第三級クリュ

特級畑ブーグロ(Grand Cru Bougros)

面積は15.47ha。最も西側に位置する特級畑で、全体としてはやや力強いタイプだが、上位の畑に比べると、ミネラルとフィネスに劣る。一部、南西向きの急斜面の区画(William Fèvreが大部分を所有し、Clos des Bouguerotsとしてリリースしている)があり、この区画からは明らかにスケールアップしたワインが生まれる。全体としては第三級相当だが、Clos des Bouguerotsは第二級に相応しいと言えるだろう。

特級畑グルヌイユ(Grand Cru Grenouilles)

面積は9.38ha。斜面下部から中央部に向かって、正三角形のような形をした特級畑だ。力強い果実感を伴った構造となる傾向があるが、ミネラルは大人しく、緊張感にやや欠けたおおらかな味わいでもある。大部分が協同組合のLa Chablisienneによって管理されており、Château de Grenouilleの名でリリースされる。

第四級クリュ

特級畑ブランショ(Grand Cru Grenouilles)

面積は12.88ha。特級畑が連なる丘の最も東に位置している。上位の畑と比べると、相対的にこじんまりとした構造となり、良く言えば、繊細な特徴をもつと言えるだろう。突出した香りの豊かさは確かな魅力的だが、総合的に特級畑の地位にふさわしいかは、疑問が残る。

一級畑モンテ・ド・トネル(1er Cru Montée de Tonnerre)

特級畑の丘から小峡谷を挟んで東に位置するのが、一級畑のモンテ・ド・トネル。古くから、特級畑に迫る品質とされてきた一級畑だ。力強さ、ミネラル、酸のトータルバランスに優れ、長期熟成能力も高い。この畑の中には、 Francois Raveneauで知られるChapelotの区画が含まれている。

一級畑モン・ド・ミリュー(1er Cru Mont de Milieu)

エレガントで緻密な味わいが魅力的で、モンテ・ド・トネルと並び、特別な資質を備えた一級畑がモン・ド・ミリュー。位置的には離れているが、特級畑ヴォーデシールを全体的に小ぶりにしたイメージと考えれば、特徴を捉えやすいだろう。

第五級クリュ

一級畑フルショーム(1er Cru Fourchaume)

全面積は、特級畑の合計よりも大きいというフルショームは、やや安定性に欠ける。全体としてはふくよかで丸い質感が特徴だが、Vaulaurentという区画に限って言えば、より緊張感の高まった味わいとなり、第四級に相応しいワインとなる。

一級畑ヴァイヨン(1er Cru Vaillons)

これまでランクインしてきた葡萄畑の全てがセラン河右岸に位置しているが、ヴァイヨンは左岸にある。フローラルで繊細、柔らかく、優しい味わいは、非常に親しみやすく、心地よい。

一級畑コート・デ・レシェ(1er Cru Côte de Léchet)

ヴァイヨンと同じく、左岸に位置する畑。左岸の畑らしく、繊細で優美な味わいとなるが、ヴァイヨンよりも少しシャープな味わいとなる。

第六級クリュ(名前と位置のみ記載)

一級畑ヴォークパン(1er Cru Vaucoupin)右岸

一級畑ボーロワ(1er Cru Beauroy)左岸

一級畑ヴォー・ド・ヴェイ(1er Cru Vau de Vey)左岸

一級畑モンマン(1er Cru Montmains)左岸

「違い」に宿る魅力

気候変動が直撃している現在のシャブリで、このような格付けの意味を実感するのは、難しくなっているだろう。しかし、ブルゴーニュも、シャブリも、このような比較検証にこそ、最大の魅力が宿っていたはずでは無いのだろうか。

私は、なかなか諦めが悪いところがある。だからしばらくは、辛抱して待とうと思う。また、いつの日か、鮮明に刻まれた様々な葡萄畑のテロワールを、シャブリから感じ取れる日が来ることを。