2021年10月26日16 分

パーカーとボルドー <ボルドー特集:後編>

人は変われないのか。私はその問いに対する答えをもたぬまま、本稿の執筆と向き合い始めた。失敗は恥ではない。愚かさも、未熟さも恥ではない。私はずっとそう思ってきた。だが、繰り返すことは確かな恥だとも、知っていたはずだ。だから、もうこれ以上繰り返さないために、常識も、一般論も、過去の自分ですらも徹底的に疑ってみようと思う。その果ての答えが、どこに行き着くのかは分からなくても、私が変われる保証などどこにも無いとしても、自らに、そして偉大なるボルドーに、問いかけてみよう。本当にボルドーは、ロバート・パーカーに、誇りを、魂を捧げ続けてきたのだろうか、と。

ロバート・M・パーカー・Jr.

1975年からワイン評論活動を本格的にスタートさせたロバート・M・パーカー・Jr.以降、パーカーと表記)は、ワイナリーやワイン商と蜜月の関係にあったジャーナリズム(そう呼ぶにはあまりにも腐敗していたが)に異議を唱え、圧力に屈さず、何者にも影響されず、ただひたすら自らの絶対的な価値観を、断固として突き通していた。まさに異端児と呼ぶべき存在であったはずのパーカーだが、ボルドーの1982年ヴィンテージに対する評論が、結果的に彼を帝王へと押し上げた。当時のほとんどのジャーナリストは、酸が低く、果実味が強い1982年ヴィンテージ(*1)を高く評価しなかった一方で、パーカーは「世紀のヴィンテージ」と絶賛した。それは、後に「パーカリゼーション」とも呼ばれることになる、「価値観の反転」の始まりでもあった。パーカーは1982年ヴィンテージのボルドー左岸五大シャトーに対して、オー=ブリオンを除く4シャトーに100点級の高評価を献上、続くグレートヴィンテージとされた1986年には、ラフィット=ロートシルト、ムートン=ロートシルト、マルゴーに高得点を与える一方で、オー=ブリオンには平凡なスコアを、ラトゥールに至っては(第一級という地位を考えれば)酷評とも言えるスコアを献上した。このように、メドック公式格付け第一級シャトーであっても容赦無く切り捨てるパーカーの聖域無き評論は、瞬く間にワイン愛好家の信頼を集め、彼の高得点はワインの価格に巨大な影響を及ぼすようになった。パーカーは、特にボルドー評論を得意としていたため、市場における影響力は桁違いに大きく、程なくして多くの有識者が、ボルドーがパーカーの実効支配下に置かれたと考えるようになった。「パーカーが好めば、ワインが簡単に高値で売れる」という単純な図式には、有識者だけでなく、多くの愛好家が「ボルドーのシャトーがパーカーを意識するのは必然」と盲目的に考えるのには十分すぎるほどの、絶大なインパクトがあった。

*1:当時は、長期熟成のポテンシャルが、ワインの評価に直結しており、酸の低いワインは評価が低くなる傾向にあった。パーカーは1982年を長期熟成型と評していたが、その点に関しては(1982年ヴィンテージの熟成状況を見る限り)、パーカーが正しかったとは決して言い切れない。

15年以上もの間、私もまたこの呪縛に囚われてきた。そして、この呪縛は私のボルドーに対する酷く一方的な嫌悪感の源でもあり続けた。

そんな私が、今こうして再びボルドーと真摯に向き合おうとしているのだが、冷静になって考えてみれば、過去15年間の私は、情報を自分にとって都合の良い形で解釈し続け、主観性も客観性も放棄し続けてきた愚か者の様に思えてならない。能動的なリサーチもせず、テイスティングによってワインと真正面から向き合うこともせず、ただただイメージだけで、メインストリームの最たるワインであるボルドーを回避するために、金満主義的(実際にはごく一部)在り方や、パーカリゼーションを盾に、言い訳をし続けてきた未熟者だったかも知れない。

ボルドーが先へと進むなら、私もまた進まねばならない。

そのために、今度こそ公正に検証したい。

果たしてどれだけのボルドーワインが、パーカーに迎合していたのかを。

私がボルドーとパーカーの関係性に疑いをもちはじめたきっかけは、2年前にあった。2019年11月に東京で開催されたUnion des Grands Crus de Bordeaux(U.G.C.B)だ。ボルドー全土の一流シャトーが一堂に会した2016年ヴィンテージのお披露目会で、私はテイスティングブースに立ち寄ったほぼ全てのシャトーに、同じ質問を繰り返した。

「パーカーの引退は、どのような影響を及ぼすのか?」

そう、既に一線を退いてはいたものの、その影響力は健在と考えられていたパーカーが、2019年5月16日に、正式に評論家として引退していたのだ。

その僅か半年後の開催だったこともあり、少々意地の悪い質問であることは重々承知していたが、気遣いに興味が勝った。

明らかに不機嫌そうに顔をしかめるシャトーの代表も数名いたが、数多くのシャトーから得られた回答は、100%一致していた。

「我々は、パーカーの影響など受けたことがない。」

当日の私には、彼らの言葉を信じることは、全くできなかった。ボルドー人は素直じゃない、自尊心の塊の様な人たちだ、とすら思ったと記憶している。

だが今回は、「U.G.C.Bで彼らは真実を語っていたのではないか」という仮説から、検証をスタートしていきたい。

変化、パーカリゼーション、進化

ボルドーワインのスタイルは、確かに変化してきた。パーカリゼーションの有無は一旦横に置いておくとしても、それだけは間違いない。1970年代までは顕著だったピラジンの影響も影を潜めるようになり、新樽による風味付けは少し強くなり、タンニンはきめ細かく滑らかに、そして果実味はよりピュアになった。早飲みタイプになったのも事実だが、その様な変化が顕著に起こったのは、2010年代以降であり、それは何もボルドーに限ったことではない。

検証の前置として、パーカーが登場する直前である1970年代からの、ボルドーの状況を説明しておこう。

1973年に、中東の産油国が原油価格を70%引き上げたことを発端に発生した異常なインフレーション(第一次オイルショック)は、ボルドーにも飛び火し、急激に価格が上昇した1972~74年ヴィンテージのボルドーワインが、ネゴシアンの倉庫で行き場なく眠ったままとなった。

さらに1981年、第一次オイルショックの傷も癒えない中で、相続税が倍となったことが追い討ちとなり、数多くのシャトーが経営危機に陥った。この頃から、国内、国外の他業種(保険会社、銀行、その他の巨大企業など)による参入、というよりも実質的な買収が増え始めた。サントリーがシャトー・ラグランジュを買収したのも1983年のことだ。他業種参入組の中には、早期回収を図るものもいれば、長期的な経営戦略を展開したもの(サントリーなど)もいた。

つまり、全体的な話をすれば、1970~80年代前半は基本的にボルドーが非常に疲弊していた時代とも言える。

そのような状況の中で、パーカーの1982年ヴィンテージ評論が発表され、ボルドーを取り巻く情勢が一変した。パーカーに酷評されたヴィンテージの販売には苦労したことは想像に難く無いが、全体として見れば、パーカーの影響力が高まるに連れて、販売しやすくなっていったのは間違いないだろう。そう断言できる程度には、パーカーの影響によって、ボルドー需要が高まったのだ。

セカンドラベル

品質を上げれば(パーカーの評価が高ければ)高値でワインが売れるという状況は、ある種の安心感ともなり、ボルドーのシャトー群が様々な挑戦を仕掛けていくための土台を作り上げた。その代表的な例が、セカンドラベルの積極的な導入だ。セカンドラベルに関しては、シャトー・マルゴーの様に19世紀から採用し、数十年間の休止の後に1977年に再開した様な例もあれば、シャトー・ムートン=ロートシルトの様に1993年に初めて導入した様な例もあるが、1990年代以降、セカンドラベルを導入するシャトーは急激に増えた。セカンドラベルによって、ファーストラベルの生産量は減少するが、その分だけ品質の向上が見込めるため、より高価格で販売できるのであれば、生産量減による減収を十分に補填できたのだ。この流れは、シャトーにとってはかなり低いリスクで堂々と品質向上を図れるという、まさに理想的なものであった。

さて、ここで一つ疑問をぶつけてみよう。

セカンドラベルの導入は、直接的にパーカリゼーションと関係性があるのだろうか。

否。私にはそう思えない。

パーカーが生み出した新たな流れの中を、最も効果的かつ効率的に泳ぎながら、品質向上と真正面から向き合うための合理的手段。セカンドラベル導入の本質はそこにあるのではないか。

パーカーポイントはあくまでも品質向上に伴って期待された結果であり、目的そのものではなかったのでないだろうか。詳しくは後述するが、セカンドラベル導入後に、パーカーから低評価を受けたファーストラベルは決して少なくないからだ。本気でパーカーポイントだけを狙っていたなら、他にやりようはあったのでは、という疑問が拭きれない。

よって、証拠不十分。直接的な関係性は認められないとするべきだろう。

Ch. Margaux

パーカーポイントとの関係

高得点を得れば、より大きなビジネスチャンスとなる。目の前にぶら下げられた極上のニンジンに、飛びつくものが誰もいなかったというのは、流石に無理のある話なのではないだろうか。

ここに、一つのデータをまとめてみた。

ポイントは、Robert Parker Wine Advocate Online上で確認できたもの。ヴィンテージは、パーカーの影響が反映されている可能性が十分に考えられる1990年以降とした。後任のニール・マーティン(余談だが、筆者はニールの大ファンである)、リサ・ペロッティ・ブラウン(少々ポイントが甘い傾向がある)は共に大変優れた評論家だが、今回のデータでは対象外とし、パーカー本人のスコアの中で、最新のものだけを採用した。また、(96~98)といった暫定スコアは対象外とし、確定スコアのみを抽出した。時折、96+といったスコアリングが見られるが、今回は+を外したスコアで記載している。

検証の対象として、これらのシャトーやワイナリーを選んだのにはもちろん意味がある。

まず、シャトー・ムートン=ロートシルト

メドック公式格付け第一級シャトー唯一の昇格組であり、一般的にはそのストーリーと共に、野心的な印象も強く残っている。五大シャトーの中でも、味わいはモダンな印象が強い。1979年にカリフォルニアのモンダヴィ家と組んでオーパス・ワンを初リリースしたことから、インターナショナル派の印象も強い。検証前の仮説として、パーカリゼーションの影響下にある可能性が十分に考えられた

次に、シャトー・マルゴー

一般的に認知されている「パーカー好み」のスタイルからは最も遠いところにいる第一級シャトーであり、シャトー・マルゴーがパーカーを気にしていたとも正直思えない。ボルドー最上の一角としての誇りが、パーカリゼーションの大波とどの様に対峙してきたのか、天才醸造家と呼ばれた、故ポール・ポンタリエの足跡を追う意味も込めて、選出した。

次に、シャトー・アンジェリュス

約10年ごとに格付けが見直されるサン=テミリオンにある歴史的シャトーであり、2012年には、約50年間不動だった、最高位のプルミエ・グラン・クリュ・クラッセAへと昇格を果たした。まさにボルドーにおける野心的成長を象徴する存在であり、そのコマーシャル手法(近年の007には頻繁に登場)も「剛腕」という印象が非常に強い。醸造コンサルタントとして、80年代からミシェル・ローランを採用している。

最後に、ハーラン・エステート

カリフォルニアを代表するカルト・ワインの一つで、現在では販売価格も五大シャトーと同じ水準(より高価なことも)にある。個人的には、ハーラン・エステートをパーカリゼーションの象徴的存在とは全く考えていないが、醸造コンサルタントとして、創設時からミシェル・ローランが参画している点と、後述する別の側面の検証のために選出した。

では、検証に移ろう。

① 最低スコア

ムートン=ロートシルトの最低スコアは90年の84点マルゴーは92年の87点アンジェリスは91年の87点ハーランは2000年の91点。ハーランを除くと、超一流シャトーとしては驚くほどの低調なスコアを記録してしまっている。パーカーの無慈悲さが良く現れているとも言えるが、それ以上に、「パーカー対策はしていなかったのでは」という疑問が浮かび上がってくる。

② 最高スコア

ムートン=ロートシルトの最高スコアは2009年の99点マルゴーは90年と2000年の100点アンジェリスは2005年の100点ハーランは94、2001、2002、2007、2013年と計5回も100点を獲得している。興味深いのは90年ヴィンテージで、マルゴーが100点、アンジェリュスが99点を獲得する一方で、ムートン=ロートシルトは84点という最悪の評価を受けている。また醸造コンサルタント(ミシェル・ローラン)が共通するアンジェリュスとハーランでは、100点の獲得回数に大きな差が生じている。ミシェル・ローランが深く関わっている以上、両者間に技術的差異は認められないはずなのだが、結果はご覧の通りだ。これらの事実は、忘れられがちな、ある真実をはっきりと示しているのでは無いだろうか。それは、ボルドーが一筋縄ではいかない難しいテロワールを有しており、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、カベルネ・フランにとっての栽培限界地でもあるという真実だ。

③ 平均スコア

ムートン=ロートシルトの平均スコアは92.3点マルゴー94.08点アンジェリス94点ジャスト。ハーランは驚異の97.27点。参考までに、マルゴーと同様に、パーカー味とは程遠い印象が強いラフィット=ロートシルトの同期間の平均スコアは、94.64点である。最低スコアと最高スコアの検証によって浮かび上がった「ボルドーというテロワールの難しさ」を裏付けるデータ(極めて限定的かつ簡易的ではあるが)とも取れるが、もう2つ、別の側面も見えてくる。

1つは、パーカーのボルドー評点における、不思議なほどの一貫性の無さだ。こちらもまたパーカー味とは程遠い印象が強いオー=ブリオンの平均スコアは、94.48点。一方で、芳醇で逞しい味わいを好むと言われることが多いパーカーの嗜好とも、同じ方向性を向いていると考える人が多いラトゥールの平均スコアは、ラフィット=ロートシルトと同率の94.64点。ブルゴーニュ、バローロ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ニューワールド等に関しては、「好み」が一貫して点数に反映させる傾向が強くある中で、ボルドーに関してはなぜか広く多様性を認めている。多様なスタイルを公正に評価しているという点に関しては、パーカー自身も度々主張してきたが、改めてデータをまとめてみると、少なくともボルドーに関しては、「どの味わいを狙えばパーカーの評価が高まるのか、本当にミシェル・ローランのスタイルが正しいのか、いまいち定かでは無かった」という可能性が浮かび上がってくる。

この検証によって見えてきたもう1つの側面は、醸造コンサルタントの仕事だ。ミシェル・ローラン、故ドゥニ・デュプルデュー、ステファン・ドゥルノンクールといった醸造コンサルタントは、80年代から90年代にかけて、その特殊な役割を確立させてきた。歴史的にテロワールの評価が最高位ではなかったアンジェリュス、そしてテロワールの評価そのものが存在していないハーランが、ミシェル・ローランの手によって、平均スコアにおいて共に第一級のムートン=ロートシルトを凌駕し、アンジェリュスはマルゴー、ラフィット=ロートシルト、オー=ブリオン、ラトゥールにも肉薄し、ハーランに至っては、五大シャトー全てを完膚なきまでに打ち負かしている。醸造コンサルタントの仕事の評価は、手がけるワインの対外的評価と、当然のように連動している。ミシェル・ローランが関わったワインを相当数(優に3,000本は超える)飲んできた筆者の個人的意見としては、ミシェル・ローランがパーカーに完全に魂を売っていたとは到底思えない(そう思えないワインが実際に多々あるし、本人も否定している)が、完全に無視できたということもまた、(コンサルタントの立場的に)流石に無いだろうと考えている。ミシェル・ローランの手法は、歴史的なテロワールの評価を度々覆し、平均点を1~2点ほど上昇させることができる程度(アンジェリュスの他には、シャトー・パヴィが好例)にはパーカーの嗜好と相性が良く、そんなミシェル・ローランの魔法にあやかりたいワイナリーオーナーが世界各地にたくさんいたが、テロワールの壁を常に打ち破ってパーカーの高評価を勝ち取り続けられるほど万能(あまり取り沙汰されないが、平均90点程度のミシェル・ローランがコンサルティングするワインはかなりある)ではもちろん無かった。一方でシャトー・オーゾンヌ(2002年ヴィンテージからミシェル・ローランが参画)のように、歴史的に最上とされてきたテロワールで、圧倒的な高得点(コンサルタント就任後の平均得点は、驚異の96.9点)を連発し続けるケースもあるし、カリフォルニアのように(ボルドーに比べると)テロワールの厳しさが緩い産地では、やはり高得点を連発できる傾向がある。つまり、いかにミシェル・ローランとはいえど、そこにテロワールの厳しさがある限りは、テロワールの優位性に彼もまた捕われているということだろう。

アルコール濃度の変化

パーカーは、アルコール濃度の高いワインを好む傾向がある。それは、パーカー味に対する、一般的理解と言って差し支えないだろう。つまり、ボルドーが真にパーカリゼーションに迎合していたのなら、ある一点を機に不自然に上昇したまま、高アルコール濃度で継続的に高止まりするという結果が確認できるはずだ。一方で、ボルドーは温暖化の影響も確実に受けている。平均すると、継続的に収穫日は早まり、アルコール濃度も上昇している。しかし、アルコール濃度の上昇が、温暖化のみに起因するのであれば、その変動は上昇と下降を小さい範囲で繰り返しながら、非常に緩やかに平均値が上昇していくはずだ。近年の範疇では2003年ヴィンテージのように突発的に異常な熱波に襲われた年もあるが、基本的に温暖化は急激に進むものでは無く、ゆっくりと着実に、近付いてくるものだ。

©︎MDPI:グラフは生育期の平均気温

©︎MDPI:ソーヴィニヨン・ブラン、メルロー、カベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨンの収穫時期の変遷

この検証を行うために、シャトー・ムートン=ロートシルト、シャトー・マルゴー、シャトー・アンジェリュスにおける、1990年以降の収穫開始日とアルコール濃度を調査し、以下のグラフにまとめた。

ムートン=ロートシルトとマルゴーは共に、2010年までは、9月中旬以降に収穫が開始される年が多数を占め、2011年以降から収穫が9月中旬以前に始まる年が増えている。また、意図的にアルコール濃度を高めている様子(高アルコール濃度と、収穫開始時期の遅さが一致する年)は一切見受けられない。つまり、高アルコール化という観点から見ると、パーカリゼーションとは無縁にしか見えないということだ。

アンジェリュスは、平均すると収穫時期がメドックよりも早い傾向(これはサン=テミリオンとメドックのテロワールの差に起因すると考えるのが妥当)がある一方で、アルコール濃度に関しては、ミシェル・ローランが高アルコールに仕上げることを好む傾向もあることから、ムートン=ロートシルト、マルゴーに比べると全体的に高い。高アルコール濃度と収穫時期の遅さが連動していると考えられるケースは、2010年(アルコール濃度15.5%、収穫開始9/28)と2015年(アルコール濃度15%、収穫開始9/22)のみであり、全体的に見るとやや高めのアルコール濃度とはいえ、ヴィンテージの性質は基本的に反映しており、パーカリゼーションを決定付けるほどの、長期に渡る不自然な上昇と定常性は認められない。それに、2010年ヴィンテージの頃にはパーカーの影響力は弱まりつつあったため、パーカー味を狙うには、タイミング的に不自然過ぎる。

3シャトーのデータを見る限り、アルコール濃度の上昇は、パーカリゼーションへの迎合ではなく、単純に温暖化に起因するケースも多いと考えるのが妥当だろう。

ボルドーの意思表明

少数の個で全を語るのは、不可能だ。パーカリゼーションが無かったと言い切るには、今回の検証対象は少な過ぎるし、パーカリゼーションに完全に支配されていたと言い切るのもまた、反証となるデータが確かに示されているため無理がある。少なくとも確定的に言えるのは、ボルドーの全てがパーカリゼションの影響下にあったわけでは決してない、ということだろう。その点においては、我々もボルドーに対して、全体的かつ統一的な見方を大きく改めるべきなのは間違いない。

2021年1月26日、INAOはボルドーの新たな認可品種として、赤ワイン用4種(Arinarnoa、Castets、Marselan、Touriga Nacional)と白ワイン用2種(Alvarinho、Liliorila)を正式に承認した。これは、ボルドーの強い意思表示の現れでもある。2011年以降から顕著になり始めた温暖化の影響の中で、このままアルコール濃度15%を超えるフルボディワインへと変貌するという選択肢もあったはずだが、ボルドーは新たな品種を認可して、正に伝統的な姿である「ミディアム・ボディ」のワインであり続けることを選んだ。部分的に受けていた可能性が捨てきれないパーカリゼーションの影響からも、今後完全に脱却していくだろう。

伝統、市場、環境とバランス良く向き合いながら、「らしさ」を保つために決して努力を怠らない、誇り高き偉大な産地。

ボルドーに対して、私のイメージは確かに変わった。

それだけでも、この難題に向き合った甲斐があったと思う。