2023年6月13日12 分

アルゼンチン テロワールと品種の探求(前編)

ワインの世界におけるアルゼンチンの存在は、我々が思っている以上に大きい。2021年の国別のワイン生産量では1,250万hLで7位。オーストラリア(1,420万hL、5位)やチリ(1,340万hL、6位)とほぼ並んで南半球最大の生産量を毎年争っている

1,060万hLで8位だった南アフリカも含め、これだけ生産量がある国なら、そのワインも一般的には多様だ。

例えばオーストラリアは、フルボディで甘いシラーズの画一的なイメージから、完全に脱却したと言っていいだろう。ヨーロッパがすっぽり入るだけの巨大な国土に散らばる、産地や品種の多様さは枚挙にいとまがない。

チリはいまだにスーパーマーケットの棚の大きな部分を占める、低価格なヴァラエタルワインの産地ではあるが、フンボルト海流とアンデスに挟まれた特殊な気候条件や、北のアタカマ、南のイタタやビオビオなどのテロワールへの理解も少しずつ進んできている。新しい品種なら、特にイタタやビオビオのパイスやサンソー、マスカットが注目だ。

南アフリカ?今更言うまでもなく、日本のマーケットで今最も注目されている国の一つだろう。濃厚なカベルネやピノタージュのイメージで止まっている人は、もう多くないのではないだろうか。スワートランドの古木のシュナン・ブランやセミヨンからウォーカー・ベイのピノ・ノワールやシャルドネに至るまで、その多様さに触れる機会は非常に多い。

ではアルゼンチンは?

アルゼンチンのテロワールや品種の多様さについて、触れたことはあるだろうか?

残念ながら、プロフェッショナルも含めてほとんどの日本人の答えはノーだろう。アルゼンチンのワインと聞いて思い浮かぶのは、フルボディでアルコールの高いマルベックかフルーティーなトロンテス。それ以上の例が出てくることは稀だと言っていいと思う。ソムリエやワインエキスパートの試験の前に、低価格なマルベックとトロンテスを飲み込んでそれっきり、という人も少なくないのではないだろうか。

でもそれは、オーストラリアでは濃厚なシラーズ、チリでは低価格なカベルネやシャルドネ、南アフリカではフルボディのカベルネやピノタージュしか知らないようなものだ。そういった画一的なイメージで産地を語れる時代は、もう遥か昔の話ではないだろうか。

ではアルゼンチンの濃厚なマルベックと、華やかなトロンテスの向こうにあるものはなんだろう。

実際、今のアルゼンチンワインは驚くほど多様だ。

アルゼンチンは、日本において最も情報のアップデートが遅れている国だと言っていい。

本特集記事では、そのワイン大国に華開きつつある大きな可能性をレポートしたい。

アルゼンチン概要

南米は遠い、とはよく聞いていたけれど、実際に行くと本当に遠い。

南アフリカやポルトガルなど直行便のないワイン生産国も数多くあるが、アルゼンチンはその中でも群を抜いて時間がかかる。3月に訪問した際は、日本からメンドーサまで合計3つのフライト。トランジットの時間を含めて合計36時間かかった。時差も12時間あり、帰国時は土曜日の15:30発のフライトでメンドーサを出発したが、日本に着いたのは月曜日の15:30。実に丸二日後となる。

距離の遠さはさまざまな面で障壁となる。人の往来も少なく、日本人でアルゼンチンに行ったことがある人は稀だろう。他国と比べて日本におけるワインのプロモーションも少なく、アルゼンチンワインの情報がなかなかアップデートされない一因でもある。

簡単にいって、残念ながら繋がりが弱いのだ。

またこの距離はワインの輸出においても大きなボトルネックとなる。メンドーサを始めとするアルゼンチンの多くの産地は国の西側のアンデス山脈の麓に集中しており、日本へ輸出する場合はアンデス山脈を超えてチリ側まで輸送するのが一般的だ。コストと時間がかかり、アルゼンチンワインにチリや南アフリカのような低価格ワインが少ない一因となる。

改めてアルゼンチンの概要をここで確認しておきたい。

アルゼンチンはラテンアメリカでブラジルに次ぐ第二の国土を誇り、世界でも8番目に大きい国だ。しかし人口はブラジルの約2.14億人と比べ、その5分の1程度の約4500万人である。西に接するチリとは、南北に7,500kmもある世界最大の山脈であるアンデス山脈によって隔てられており、特に北部は南米最標高のアコンカグア(6,960m)を始めとした、3,000mを超す山々が並んでいる。

一般的に、アルゼンチンと言って思い浮かぶのは、サッカー、タンゴ、牛肉、くらいだろうか。

サッカーは2022年のワールドカップ優勝が記憶に新しい。また牛肉は世界第2位の個人消費量を誇り(1位はお隣のウルグアイ)、年間50kg以上を食べる肉食大国だ。日本の消費量は約6kg程度あることを考えれば、なんとなくその凄まじい量が想像できるだろうか?

©️Wines of Argentina

ワインについて見ていこう。

アルゼンチンのワイン産地は、大別して4つに分けられる。

北からノルテ、クヨ、アトランティカ、パタゴニア

アルゼンチンの産地はアンデス山脈に近く、標高が高いイメージを持っている人も多いと思うが、それはノルテとクヨの特徴だ。

アトランティカパタゴニア大西洋に近く標高も低い。この二つの産地を合計しても4,000ヘクタールに満たない、比較的小さい産地だ。

アトランティカにある首都のブエノス・アイレスが南緯34度であり、ケープタウンやアデレードなどの他国の主要産地とほぼ同じ緯度に位置している。最も南部にある産地であるパタゴニアのチュブの緯度はほぼタスマニアと等しい

これらの産地はその気候から、アトランティカアルバリーニョパタゴニアピノ・ノワールやシャルドネなども注目に値するものが現在生産されている。

さて、ブエノス・アイレスが他の南半球の主要産地とほぼ同じ緯度だということは、それより北に位置しているノルテやクヨはより暑いということだ。特にノルテは緯度が低く、中心の都市であるサルタで南緯24度と、通常はワイン用ブドウの栽培が困難なほど緯度が低い。

そして、この緯度でもブドウを栽培可能にする要因が標高となる。一般的に100m標高が高くなると、平均気温が0.65度程度低下すると言われる。

特に緯度の低いノルテでは高標高で、アンデス山脈の麓に点在するブドウ畑は最も低い場所で750m、最も高いフフイ州では3,000mを超える場所にまで拓かれている。3,000mを超える産地は世界でも稀であり、中国にある3,500m超えのチベットの畑に次いで世界でも2番目に標高の高い産地だ。

ノルテの南にあるクヨも標高が高い。しかしノルテほどではなく、430m-1,997mの範囲となる。世界的には1,000mを超える場所にあるブドウ畑すら珍しいのであるから、こちらも十分に高標高の産地といえる。

アルゼンチンワインの歴史

一度ここでアルゼンチンワインの歴史に目を向けてみたい。

アルゼンチンワインの歴史を知ることは、この国における品種の変遷を見ることにも繋がる。アルゼンチン=マルベック、と考えられるようになったのは、実はそれほど昔のことではない

アルゼンチンワインの歴史は、他の新大陸の国と同様、コロンブスのアメリカ大陸発見から始まる。この時代にキリスト教の伝道師がヨーロッパから持ち込み、新大陸で大きく広がったのが、今でもカナリア諸島などで栽培されているリスタン・プリエトだ。アメリカではミッション、チリではパイスと呼ばれ、特にチリ南部では近年注目されている品種だが、アルゼンチンではクリオージャと呼ばれ、今でも広く栽培されている品種のひとつであり、国全体の栽培面積のおおよそ20-25%を占める。アルゼンチンでは黒ブドウや白ブドウではなく、ピンク系ブドウとして分類され、チェレーザクリオージャ・グランデクリオージャ・チカなどの品種にさらに分別される。

その後アルゼンチンのワインに大きな変革が起こったのは、19世紀の中盤のことだ。

1853年農業学校がメンドーサに作られ、ここがマルベックを始めとするヨーロッパ系品種をアルゼンチンに初めて輸入し、紹介することとなる。(毎年4月17日はワールド・マルベック・デーだが、これはこの農業学校が設立された1853年4月17日を記念して設定されている。)

アルゼンチンには高樹齢のマルベックの畑を見かけることもあるが、この点で代表的なのがサルタの重要ワイナリー、コロメだ。標高2,300m付近に樹齢130年という超古木の畑を持ち、この畑から1831 マルベックというワインを生産している。

今ではアルゼンチンを代表する品種としてよく知られるマルベックだが、このように実はアルゼンチンにおける歴史は170年ほどだ。しかし、これも当時から今のようなスタイルのワインが生産されていたわけでは全くない点に留意したい。

アルゼンチンワインの近年の大きな変革は20世紀後半1980年代に、ポール・ホブス(ヴィーニャ・コボス)やアルベルト・アントニーニ(アルトス・ラス・オルミガス)、ミッシェル・ロラン(クロス・デ・ロス・シエテ)などの世界的に著名なワインメーカーがアルゼンチンに渡り、それぞれのワインを造るようになったことで、アルゼンチンのワインの品質が飛躍的に伸び、世界の檜舞台へと立つことになった。

これを経済の面から後押ししたのが、皮肉にもこの国の不安定さだ。アルゼンチンは1816年にスペインから独立した後、9回ものデフォルト(債務不履行)を経験した国として知られる。未だに経済的には不安定で、アルゼンチンペソの為替レートには公的なレートとは別にブルーレートと呼ばれる闇レートがあるほどだ。

ただ為替の弱さは輸出には有利だ。80年代の海外のワインメーカーの流入には、為替が弱く海外からの投資がしやすかったことも無視できない。こういった事情も絡んで、アルゼンチンのワインは、特にアメリカ向けに大量に生産され輸出されることとなった

この1980年代から90年代にかけて、世界のワインマーケットがどのように回っていたのかを思い出してみたい。それは端的に言ってロバート・パーカーJr.の時代であり、彼好みの濃厚でアルコールが強く、フルボディで樽のニュアンスがたっぷりするワインが好まれた時代であった。

このスタイルに、アルゼンチンの気候条件は好適だったのだ。収穫時期に乾燥しているため収穫時期を遅らせることで熟度を上げることが容易であり、日照量が強くタンニンも強くなる。濃いワインを造るにはおあつらえ向きの産地で、しかも先述したように為替的にも有利だ。このような時代背景から、アルゼンチンワイン=フルボディで濃厚なスタイル、として輸出マーケットで広く認知されるようになっていったのである。

ただここで注意したいのは品種だ。

パーカーの時代に一般的に好まれたのは、マルベックではない。

カベルネ・ソーヴィニヨンだ。

この時代には、アルゼンチンでも輸出用にカベルネ・ソーヴィニヨンが広く栽培された。

ほんの30年くらい前の話だが、まだマルベックは今のように日の目を浴びる少し前なのだ。マルベックが表部台に飛び出すきっかけを作ったのは、実はトスカーナのエノロゴ、アッティリオ・パーリである。

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを代表するワイナリー チェルバイオーラ・ラ・サルヴィオーニの醸造家として知られているパーリは、80年代にメンドーサに招かれる。それはサンジョヴェーゼがメンドーサで可能性のある品種かどうかを調査するためだったが、結論としてサンジョヴェーゼはメンドーサの気候にはあまり適合しなかった。しかし当時は今ほど注目されていなかったマルベックに高い可能性があることを指摘したことで、今の高品質なマルベックへの扉がアルゼンチンで開かれるきっかけを作ったのだ。

それから10年ほど経った1995年に、マルベック専門のワイナリーとして設立されたアルトス・ラス・オルミガスは正気を疑われたという。

いわく「どうしてカベルネを植えないんだ?」

ほんの30年前でも、マルベックはまだスタープレイヤーではなかったのである。

品種の現在

さて、ここで改めてひとつ質問がある。アルゼンチンにおいて、マルベックの栽培面積は全体の何割くらいだろうか?

正解は23%。実は1/4にも満たない。

アルゼンチンの歴史をここまで見てきて分かるように、この国は想像以上に多様なのだ。

この国で最初に栽培されたクリオージャ系品種は、今でも全体の約25%を占める。同様に長い間アルゼンチン人の喉を潤してきた赤品種、ボナルダ(イタリアのボナルダとは異なる品種。サヴォワのドゥース・ノワールのシノニム。)も約10%。

そして白も全体の15%ほどの生産量がある。最も生産量があるのはペドロ・ヒメネス。こちらもスペインのPXとは全く関係のない品種であり、Pedro Gimenezと綴る。トロンテスと同様、クリオージャとマスカットの自然交配品種だ。

マルベックに留まらず、こういった品種が今注目を浴びつつある。アルゼンチンのワインショップに行くと、クリオージャやペドロ・ヒメネスなどで造ったナチュラル系のワインが目につく。元々が低価格な日常用ワインばかり造っていた品種を、自然派系のアプローチを用いることで再脚光を狙うのは、世界中で見られるアプローチだろう。

もう一つ品種で注目したいのが、シュナン・ブランやセミヨンといった品種だ。

そんな品種、アルゼンチンでは聞いたこともない?確かに。

でも先日パリで行われた世界ソムリエ大会は、ご覧になっていないだろうか?

決勝戦にて、ブラインドテイスティングで供された4つの白のうち一つが、パタゴニアのセミヨンだったのだが。リチテッリというワイナリーが、パタゴニアの高樹齢かつ自根のセミヨンから造るワインだ。味わいはタイトでミネラリー。塩のようなニュアンスがあり、おそらく知らなければ誰もアルゼンチンだとは考えない。(実際決勝戦でも誰も正解しなかった。)

アルゼンチンで高品質な白を探すと、大まかに二つの方向性があると言われる。

ひとつはシャルドネ。日本で手に入るものでは、カテナホワイト・ボーンズホワイト・ストーンズがまず挙げられる。高標高かつ特殊な土壌から生まれる、力強く旨みがあり、叩き切るような酸のある特徴的なシャルドネだ。

もう一つが先述したシュナン・ブランセミヨンである。こちらはシャルドネと比べるとまだ例は少ないが、同様にアルゼンチンの特殊なテロワールを表すことのできる品種として、注目を浴びている。

今のアルゼンチンの品種を取り巻く状況を表す良い例が、メンドーサのワインショップで撮ったこの写真だ。

アルゼンチンを代表するワイナリーの一つ、ズッカルディのラインナップだが、全てウコ・ヴァレーから産出される、セミヨン、シュナン・ブラン、ソーヴィニヨン・ブラン、アルバリーニョ、ベルデホ、カベルネ・フランのそれぞれ単一品種である。

アルゼンチンのイメージのある品種など、ここにはほとんどないと思う。それだけ今、アルゼンチンは大きく変化しているのだ。

<プロフィール>

別府 岳則 / Takenori Beppu

Wine in Motion代表

WSET®Level 4 Diploma

オーストリアワイン大使(Austrian Wine Marketing Board)

ポートワイン・コンフラリア カヴァレイロ (Institute dos Vinhos do Douro e Porto)

International Personality of the Year 2018 (ViniPortugal)

Award of Excellence (Austrian Wine Marketing Board)

J.S.A.認定ソムリエ

レストラン、インポーター、ワインショップを経て独立。

海外ワイン協会や生産者の様々なプロモーションに携わる。

プロフェッショナル向け、ワインラバー向けのセミナーやウェビナーも多数。