2022年2月16日3 分

Advanced Académie <20> 外観

我々が日々行うワインテイスティングは、実に様々なものに影響を受ける。味わうという行為は、味覚だけでなく、五感にワインの情報がプラスされた、脳の総合体験と言い換えることができるという話は度々してきたが、今回は「視覚」の影響について、より深く考察していく。

真っ黒なグラス(Riedel社などが販売している)にワインを注いで飲むと、白ワインか赤ワインか判別できない人が続出する、といった話は有名だし、白ワインを無味無臭の食用着色料で赤ワインのように色付けして、専門家にテイスティングさせたところ、テイスティングシートが、赤ワインを想起させるコメントで埋め尽くされた、なんていうなんとも意地悪な実験の報告もあったりする。

認知心理学者のフレデリック・ブロシェ(後者の実験を行った人物)は、この現象を「知覚の期待」と呼んでいる。

簡単に言うと、視覚的なものであれ、情報的(例えば、グランクリュであるという前情報)なものであれ、嗅覚的なものであれ、人は味わう前に知覚したものと同じ結果を無意識に求める、ということだ。

純粋にそのワインを楽しむ、という観点から見れば、ワインの外観は存分に堪能すべきだと思う。ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、ネッビオーロは全て色が違うのだし、ワインメイキングや熟成による影響なども、外観に現れる。様々な情報が詰まった色合いを楽しまないというのは、実に勿体無いことだ

しかし、ブラインド・テイスティングや、ワインの品質鑑定という局面においては、外観の情報は混乱の元ともなり得る。

例えば、ある程度熟成したブルゴーニュやシャトーヌフ・デュ・パップの外観と、若いバローロの外観には相当程度類似点が見られる。ともに、外観のエッジに褐色が出てくるのだ。この視覚情報に支配されると、ブラインド・テイスティングの場合、葡萄品種を間違えるだけでなく、ヴィンテージの予測を10年単位で外してしまうことも少なくない。

白ワインのテイスティングでも、同様の現象が頻発する。例えば、強いゴールドの入った

外観を、「新樽の効いた白ワインの色」として認識している場合、樽以外の要因(葡萄品種、熟成年数など)で類似した色調が出ている場合でも、ヴァニラやココナッツといった、本来なら新樽由来の(あるはずがない)特徴を感じとってしまったりする。

筆者が若い頃、マスター・ソムリエにブラインド・テイスティングの指導を受けた際に、「色は気にするな。」と何度も言われたことは、記憶に強く焼きついている。

品質鑑定においては、また違った問題が発生する。例えば、グルナッシュやシラーをベースにした赤ワインが、それらしい濃厚な色をしていて、高いアルコール濃度から、スワリングしていた際に粘りのあるレッグス(グラス内壁をゆっくりと流れ落ちるワイン)が見られたとする。この外観から一般的に想起する味わいは、濃厚でパワフルな赤ワインといったところだ。しかし、このワインがセミ・カーボニック・マセレーションで造られていた場合などは、外観やアルコール濃度に反して、非常に軽やかな飲み口になる。

このようなワインの例は南仏でも、他の国でも実に多く見られるのだが、テイスティングコメントを見ると、「濃厚」という言葉が並んでいることが珍しくない。

目を瞑って飲めば、誰も濃厚だとは思わないようなワインであるにも関わらずだ。

繰り返しになるが、楽しむだけなら、外観は存分に堪能すべきだと思う。

しかし、ワインの深淵に一歩深く入り込みたいのであれば、外観の情報に対する認識には、オンオフスイッチを設けていた方が良いだろう。

余談だが、外観を「ワインが健全であるか」の判断基準とする、という話は今でも多く聞くが、それは時代遅れの考え方だ。

フィルターの精度も格段に向上し、ワインメイキングが全体的に大きく進歩した今、透明で光沢のある外観を健全の証とする、というのはいくらなんでも無理がある。