2023年3月2日8 分

グレドスワインの軌跡

スペインの首都、マドリードの中心部から車で約1時間の距離にあるグレドス山脈は、首都圏に住む人々の間で人気のハイキング場所だ。

週末ともなれば、家族連れの観光客が遠足気分を満喫している。

東京に例えるなら高尾山のような感覚だろうか。  

その場所が今や、世界に知られるワイン産地になるとは、20年ほど前には想像もできなかったであろう。

絶景のハイキング場所は、標高500mから1000m超だが、中心部が500mの標高に位置するマドリードからの移動は、山を登ってきた感覚はない。ハイウェイで向かっていくと、美しい壮大な山脈が出迎えてくれる。険しい山間に葡萄畑があるのだが、まるで何十年も我々を待ってくれていたような、いや安易に近づいてはいけないような、おどろおどろしくも見える古樹達が点々と植っている。

今や高級ワイン産地として、まさに「穴場」的な場所からのシンデレラストーリーをもつ産地だが、スペインの中で、このような形で高級ワイン産地として世界中から注目を浴びた場所は、約30年前のプリオラート以来であろうか。

ほとんどのぶどう畑は 600~1,100 mの高台に位置し、中にはそれ以上のものもある。

山脈の冷涼さの中で、粘板岩土壌はガルナッチャに果実の豊かさと複雑さを、そして花崗岩土壌フィネスと透明感を、石灰土壌はミネラルを与える。

何世紀にも渡り、その土壌と大陸性気候の厳しい気候が、元々植えられていたガルナッチャのキャラクターとあいまじり、グレドスワインという、「スペインで最もエレガントなガルナッチャ」、「グレドスのガルナッチャはまるでピノ・ノワールのようだ」、「神秘的な程のピュアさ、透明感、繊細さのあるガルナッチャ」と世界的な権威が表現するほど、唯一無二なスタイルを生み出す。

17世紀には、スペイン王国の宮廷やマドリードのバルなどで使用されたこともあったが、安酒のイメージが強くついてまわり、当時はリオハやラマンチャのワインの評価が高かったこともあり、 グレドスワインはあまり評価されていなかった。

20世紀になっても、この地域のブドウ栽培は原産地統制委員に見出されることはなく、地元の志の低い協同組合によって、また(安価な)バルクワインの原料として生産されていた。

長年に渡って世間的にこの扱いをされたのが功を奏したか、ほぼ「放棄状態」にあったガルナッチャの古樹に着目し、この地のワインを最初に世界に送り出し、スペイン国内のみならずこの地に世界的注目をもたらしたのは、1999年当時(今でもバリバリの現役だが)ノリに乗っていたテルモ・ロドリゲス氏だろう。

彼はリオハのワイナリー出身であるが、実父とそりが合わず家を飛び出し、当時国際品種の波が押し寄せていたスペインワイン界の中、国内のあらゆる銘醸地で醸造所を借りながらワイン造りを行い、地場品種のポテンシャルを世間に知らしめ続けてきた第一人者だ。

   

テルモ・ロドリゲスの先見の明に引き寄せられるように、比較的若い生産者がこぞってこの地に訪れ、それまでのスペインワインにはない、ミネラルと酸に富んだ、華やかでスタイリッシュなワインが多く誕生するようになった。

そこから一気に、グレドスワインの名は世界に広まっていった。    

この地が若い生産者に受け入れられた理由が、古樹ガルナッチャの魅力にあることは言うまでもないが、新しい産地というしがらみの無さと、マドリッドからの近さというのもあるだろう。

団体や組織、特に原産地統制などになると、その品質を維持するために法律が生まれる。

それはそれで、あるべきものではあると思うが、一定数「我々の存在価値はその団体を維持するためではない」という者が当然出てくる。長年その団体に属し、「法を作る立場」の生産者も多くいるのも事実だ。  

例えば、長年カバの品質向上に力を入れてきたカバの著名な生産者が、カバの大量生産化に法律がシフトチェンジしていく様に幻滅し、新たなスパークリングワインの団体、コルピナットを結成したり、リオハ産高級ワインの一角を担ってきた功労者アルタディのDOCリオハ脱退は業界に衝撃が走った。

そのような大きく歴史のある団体に対して、新参者は色々と気を使わなくてはならない。

前述のテルモ・ロドリゲス氏のような、古い体質に嫌気がさし、新たなことに挑戦する若者が登場するのは世の常でもあるし、その流れが新たな世界を作っていく。

スペイン国内を旅行しても、少し田舎へ行くとバルは近所のお年寄りの憩いの場になり、機能していないであろう農道具や納屋などが目立つ。(スペインでも高齢化社会問題は深刻で、2030年までにスペインでは人口の25%が60歳以上になるとも言われている。)

スペインでも過疎化や高齢者問題は深刻なのだ。

その点グレドスは首都圏より程近く、フットワークに長け、都会の時間のスピードに取り残されたような荒れた農作地は安価で手に入りやすく、「新参者」たちが新たにムーブメントを起こしやすい環境にあった。  

しかし、安易に手に入る畑ほど、耕すのは容易ではない

機械に頼れないような急勾配、醸造施設も当然あってないに等しかったであろう。

おそらく何十年に渡り、その地に根を張っていた樹勢の強いガルナッチャは、いたずらに枝を伸ばしながら入ってきた人間達をほくそ笑んで見ていたに違いない。

手作業で行う重労働、そして苦労してワインができたところで世間の今までの安価なイメージを覆すことは、並大抵のものではない。

悠々としたガルナッチャを前に、手に負えないと舌を巻いて逃げ出した人間は数多くいたであろう。

一方で、その困難を克服したもの達がいるからこそ、今のグレドスワインが存在するのだが、中でも若手注目株の一つが、ラウル・カイエ・ヴィティクルトルだ。

マドリード出身のラウルは、農学のエンジニアでスペシャリスト。荒れくれたガルナッチャを前に、語りかけるように寄り添い、明確なイメージを共に描き、完全なるオーガニックで亜硫酸の添加をせず、小さなステンレスタンクとアンフォラ、そして使い古した古樽のみを使用し、まるで自分よりも歳上のガルナッチャに敬意を表し、そのままの葡萄の想いを瓶に詰めるような素直な造り。  

第一印象は、ミネラル感があり、果実味豊かながら、酸がぴんと張っているおかげでスレンダーに感じ、その上喉をスルリと流れていく液体だった。

荒れ果てた畑から生まれたとは、想像し難い、ピュアな口触。 透明感のある明るめのガーネット色。赤チェリー、苺、ラズベリー、クランベリー、アセロラ等の小さな赤いベリーの果実とクローブ、シナモン、ドライハーブ、ミネラル、微かにバニラがふんわりと香る。口中でも甘酸っぱく緻密な果実味、タンニンは緻密できめ細かく、酸とミネラル感で、たっぷりとした果実味を重く感じさせず、スタイリッシュな余韻となる。

まさに自然が生んだ産物そのもの。

銘醸地が全てをリードする時代は終わり、過疎化や高齢者問題、そして圧力が強くなりすぎた大資本。ラウルのような、エゴを葡萄に押し付けず、肩の力が抜けている(相当な努力があると思うが)ような表現者が芸術の国スペインで起こす、数多くのキセキを見逃せない。

Canto de los pollitos 2016 カント デ ロス ポイトス

国:スペイン

産地:シエラデグレドス

品種:ガルナチャ

生産者:ラウル・カイエ・ヴィティクルトル Raul Calle Viticultor

インポーター:ヴォガ ジャパン

(以下、インポーターのワイン紹介文)

南東向き標高650メートルで、足で圧搾も行う。プラスチックバットで1か月の醗酵と抽出後、古バリックで約1年の熟成。ラッキング以外の清澄作業を行わず瓶詰を行い、年生産量はわずか2千本程度。亜硫酸添加なし。 マドリッド育ちのラウルとローラ夫妻がグレドスの農作放棄地帯からスタートさせた小さな手作り。年生産は2000本あまりと極少量。農学のエンジニアであったラウルはグレドスの見捨てられたぶどう樹を甦らすという壮大なプロジェクトに挑戦しつつ、全て手造りのワインを生み出す。標高1100Mもの高地に位置するぶどう畑、非常にドライで剥き出しの花崗岩が表土に現れるテロワール。急斜面ではほぼ手作業で行われる彼のワインは、痩せた土地から生まれたとは思えない生命力に溢れている。

<プロフィール>

菊池 貴行 / Takayuki Kikuchi 

ヒノモリ

シェフソムリエ

1978年 東京 深川生まれ。

大学在学中、月島の「スペインクラブ」でスペインワインに目覚める。

本場のワイン、料理を触れにスペインへ。

帰国後2004年のオープンから日本橋サンパウにソムリエとして勤務。

バルセロナのサンパウ本店での研修を経て、2006年、同店のシェフソムリエに就任。

その間スペイン政府貿易庁が主催した第1回「ICEX」(シェフ要請プログラム)の日本代表、世界唯一のソムリエとして選ばれ、2007年10月からスペインに国費留学。リオハの二つ星「エチャウレン」や南スペインの二つ星「アトリエ」で研修を積みながら、ワインの作り手と交流を重ねる。

第4回マドリッドフシオンのソムリエコンクールでは、実技試験審査員。

2010年5月、第1回の「カヴァ騎士団(シュバリエ)」に選ばれる。

2020年7月、三重県アクアイグニス内「ヒノモリ」のシェフソムリエに就任。松坂牛などに代表される地元の熟成肉や伊勢の魚介類など三重の豊かな食材に惹かれ、現職。

ワイン雑誌への寄稿やワインセミナー多数。

ワインスクール、レストランマナー講師も勤める。